ぴーすナだいや☆磨くと華やかDaY

このブログは、否定され続けて育った「こじらせ女子」による、自己否定の毎日から心と身体の安心と安定を求めて人生の旅日記です。そして結果として、誰かの心にひっかかる棘を見つけて抜くきっかけになれたら良いなと思います。個性心理學認定講師/カウンセラーとしても活動中です!個性心理學研究所 認定講師・認定カウンセラー 認定ID:813055

期待の履き違えはおきやすいかも

今日も自分自身と笑って過ごせましたか♪♪♪

心と身体に安定と安心を広げるセラピストの ことも です。

 

"期待"って私にとって何だろう。

と思った時に


母親から

「だからあんたは…!」

「もうあなたには期待しない」

「あなたに期待しても意味ない」

「また…?!はぁ~」

…など、私にとっては、

 


"期待"=

"愛情・構うこと、目をかける事"

 


だと勝手に思い込んでました。

 


本当に些細な事で、

「食べた食器は片して洗ってね。」

と言われて、はーい!と返事しつつ

テレビに夢中になる。

それを見た母親に

「あんたは何で出来ないの」

と言われる。

これだけでも、私にとっては

母親からの"期待"に応えられなかった。と思うけど後の祭り。

 


だから、言われた時は、

 


期待に応えられない自分

 


が、誰からにも見捨てられてもう生きている価値もない。

とまで思っていました。

本当に人からみたら些細な事なのですが、私にとってはとても大きな事でした。

 


なんでこうなったのかな~?と思いおこすと、私は、生まれてすぐに病気?(私は病気だった記憶はないのですが)だったようで、ベビーベットが監獄のように思えてました。

お母さんが時間になったら居なくなって、時間がきたら来る。

恐怖でした。

自宅に戻っても、祖父母と過ごす時間の方が多くて母親とは過ごせず、少しでも母親の言う事に応えたい!

これが、いつの間にか

 


"期待に応えたい"

 


に変わり。

結局は、期待が愛情や構ってもらえる度合いだと勘違いしていました。

 


期待って誰しもがするもので、自分自身にだってします。

それに対して、愛情や構ってもらえる度合いのバロメーターにするのは意味合いが変わってくる。

 


期待されたい。

のは、人に認めてもらいたいから。

期待に応えたい。

のは、人からの愛情を欲しているから。

 

今日も

らふじょい♪

な1日をお過ごし下さい♡

 

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