期待の履き違えはおきやすいかも
今日も自分自身と笑って過ごせましたか♪♪♪
心と身体に安定と安心を広げるセラピストの ことも です。
"期待"って私にとって何だろう。
と思った時に
母親から
「だからあんたは…!」
「もうあなたには期待しない」
「あなたに期待しても意味ない」
「また…?!はぁ~」
…など、私にとっては、
"期待"=
"愛情・構うこと、目をかける事"
だと勝手に思い込んでました。
本当に些細な事で、
「食べた食器は片して洗ってね。」
と言われて、はーい!と返事しつつ
テレビに夢中になる。
それを見た母親に
「あんたは何で出来ないの」
と言われる。
これだけでも、私にとっては
母親からの"期待"に応えられなかった。と思うけど後の祭り。
だから、言われた時は、
期待に応えられない自分
が、誰からにも見捨てられてもう生きている価値もない。
とまで思っていました。
本当に人からみたら些細な事なのですが、私にとってはとても大きな事でした。
なんでこうなったのかな~?と思いおこすと、私は、生まれてすぐに病気?(私は病気だった記憶はないのですが)だったようで、ベビーベットが監獄のように思えてました。
お母さんが時間になったら居なくなって、時間がきたら来る。
恐怖でした。
自宅に戻っても、祖父母と過ごす時間の方が多くて母親とは過ごせず、少しでも母親の言う事に応えたい!
これが、いつの間にか
"期待に応えたい"
に変わり。
結局は、期待が愛情や構ってもらえる度合いだと勘違いしていました。
期待って誰しもがするもので、自分自身にだってします。
それに対して、愛情や構ってもらえる度合いのバロメーターにするのは意味合いが変わってくる。
期待されたい。
のは、人に認めてもらいたいから。
期待に応えたい。
のは、人からの愛情を欲しているから。
今日も
らふじょい♪
な1日をお過ごし下さい♡